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2021-05-11

松山櫨が作り出す、自然と人が繋がる世界~【松山櫨復活委員会】矢野眞由美さん~福岡ものづくり絵日記vol.09


【福岡ものづくり絵日記とは?】

福岡には、地域の宝物と言われるものが数多くあります。どれも作り手の深い想いや洗練された技術、そして物語が込められており、手に取ったり味わったりすると、新しい扉が開かれたような、心が豊かになる瞬間をもたらしてくれます。

そのような福岡の宝物は、これからどんな未来を作り出していくのでしょうか。vol.09より内容を一新した「福岡ものづくり絵日記」は、福岡在住のイラストレーター・尾野久子が、ものづくりを通じて描く未来予想図です。

松山櫨が作り出す、自然と人が繋がる世界~【松山櫨復活委員会】矢野 眞由美さん~

その昔、筑後・田主丸地方を中心に ”最上の櫨(はぜ)” と称された「松山櫨(まつやまはぜ)」という品種がありました。江戸時代に ”和ろうそく” の原料として栽培が始まり、パリ万博以降は海外にも広く知られ、久留米出身の画家・青木繁も故郷を「櫨多き国」とうたうほど一世を風靡していた櫨の木。

しかし、産業構造の変化により和ろうそくの需要は少なくなり、いつしか松山櫨は田主丸の地から姿を消してしまいました。

時は流れ、2007年。幻の櫨と言われていた『松山櫨』を復活させた人がいます。『松山櫨復活委員会』の矢野眞由美さんです。矢野さんは、朝倉の山奥の崖っぷちに一本だけ残っていた伝説の松山櫨を探し出し、接ぎ木をして復活させることに成功しました。現在は櫨の魅力を多くの人に知ってもらおうと、様々な商品を開発したり、イベントを企画したりしています。

「やっと見つけた、自分の道。それが櫨道(はぜどう)です」


秋になると真っ赤な葉を枝いっぱいに広げて風景を彩る櫨の木。矢野さんは幼い頃、その燃えるような色彩に心を奪われました。当時はそれが櫨の木だと知りませんでしたが、あまりに印象的だったその風景。何十年もの月日を経て、再び矢野さんの心を掴み、導いてくれた櫨の木。

 

筑後地方にお住まいの方の中には、同じような櫨並木の記憶を持ってある方も多いのではないでしょうか。鮮やかで目の覚めるような景色。ああ、美しいなあ。と感動できる景色は心を豊かにしてくれます。

 

矢野さんは「あの美しい原風景をこの地に、そして日本に取り戻したい」という想いで活動を続けています。

未来予想図1:和ろうそくの灯りが演出する、美しい時間

櫨の実は和ろうそくの原料となるもの。ある日の夜、矢野さんが開発した松山櫨の和ろうそくに火を灯してみました。

い草を何重にも巻き重ねて作られた太い芯の周りを、炎が包み込みます。その大きくて明るい炎は、必要なものだけを照らし出し、部屋の一角に特別な空間を作り出しました。

しばらくその灯りの中で過ごしていると、時折、風も吹いていないのに大きく揺れたり、またたいたりするときもあります。

私はそのとき本を読んでいたのですが、まるで自分の感情の動きに炎が共鳴しているようでした。とても不思議に思えたと同時に、本の内容により深く触れられたような気もしました。(※この炎の動きは室内環境により変わります)

石油由来の化学物質から安定的に作られた洋ろうそくにはない動き。原料は自然由来のものであり、芯作りからロウを重ねていく制作過程まで全て人の手で行われている和ろうそくだからこそ、このように生命の息づかいを感じられるのかもしれません。



人は、あたりが暗くなると「情報を得よう」という気持ちが強くなるため、感覚がとても鋭くなるのだそうで、
ろうそくの灯りの下で食事をすると、味覚や嗅覚が刺激され、より美味しく感じると言います。

矢野さんは、和ろうそくの灯りだけで音楽や食事を楽しむ会、というのも企画しています。(※2021年6月現在、感染症拡大の影響で行っておりません)



想像してみました。松山櫨の炎を見つめながら、目の前にあるお料理の味を堪能する。野菜が持つ本来の味や、シェフの細やかな演出に気づくことができそうな気がします。


また、楽器の音色を聴くと、どうなるのでしょう。メロディーが紡ぎ出す情景が心の中に広がるかもしれません。


親しい人との会話はより深くなり、和ろうそくの光の中で過ごす時間は、とても豊かで美しいものになりそうだな、と思いました。

未来予想図2:多くの可能性を秘めた櫨の木は、昔も今も、未来への希望の光。

櫨の栽培が盛んになったのは江戸時代中期。なんときっかけは享保の大飢饉です。



「歴史を追いかけていくと、どんどん惹き込まれますよ」矢野さんを虜にしたのは、この折り重なった歴史とエピソードの数々。

1732年、長引く悪天候で不作が続き、九州地方では多くの人々が亡くなりました。働き手がいない田畑はみるみる荒れ果て、その惨状に胸を痛めた庄屋の竹下武平衛は、櫨の木に目をつけたそうです。電気のない時代、実から作られるろうそくには需要があり、しかも3~5年ほうっておいても6~7割は実をつける。これを産業にしたなら農閑期の支えになるし、もしまた悪天候が続いたとしてもなんとか生き残っていける。そう判断した武平衛は毎日毎日、朝から晩まで研究と実践を重ね、人々に熱心に伝え、質の良い松山櫨を増やすことに成功。櫨の木は文字通り、先の見えない暗闇を照らす光になったのです。

前述したように、それから櫨の栽培は一世を風靡。明治維新の際、各藩が武器を賄う際の資金源にもなったそうです。

「国を揺るがす大きな流れに、櫨の木が一役買っていたんです。そうやって調べていくと、いろいろおもしろい話が出てくるんですよ。ロウを搾った後の実は燃料となり、久留米絣の藍瓶を温め発酵させていたそうですし、茶畑では櫨の木陰で玉露をつくっていた。筑後の名産物である久留米絣や八女茶の発展は、櫨の木とともにあったんです」

櫨で培った接ぎ木と品種改良の技術は苗木栽培にも応用されます。それが現代にまで続き、田主丸は植木とフルーツの里として有名になりました。

他にも、櫨は様々な可能性を秘めていると矢野さんは言います。

櫨ろうを使ったワックスは伸びがよく、木製品から革製品、弓矢や楽器のお手入れに最適なのだそう。櫨ろうは保湿力も高いので、石鹸やクリームなど、多方面へと商品を展開できます。

ドイツの商社マンが「歯科治療の咬合紙に最適だから分けて欲しい」と言ってきたり、アメリカの商社マンが「400以上のロウの中で櫨ろうが一番化粧品に良い」と絶賛したり、海外からの評価も高まっています。

「櫨はとても有用性のある樹木ですよね」矢野さんは続けます。

「平安時代、天皇がお召しになっていた着物の色は、櫨の木で染められたものだったそうですよ」黄櫨染(こうろぜん)と呼ばれるその色は、輝くような黄金色。太陽の色です。櫨の幹の中央から取れる染料は、染色方法を変えると、夕焼け空のようなオレンジ色、紅葉した葉のように鮮やかな赤色にもなります。

矢野さんは道路の拡張工事などでいつのまにか伐採・廃棄されていた櫨をチップにし、手軽に取り組める櫨染キットを開発しました。定期的にワークショップも開催。アサヒシューズとコラボしてスニーカーを染めたりしたこともあったそうです。

太陽の色と言われるほど鮮やかな黄金色。ストールやシャツ、ハンカチなど、身につけると気分も明るくなりそうですよね。

元々は、大飢饉という災害をなんとか乗り越えようと栽培が始まった櫨の木。それが地域の伝統産業を支え、田主丸を植木とフルーツの里へと導きました。

まだまだ多くの可能性を秘めている櫨の木。昔も今も、道を照らす光なんだなあ、と思いました。

 

未来予想図3:自然も産業も循環する世界

この原稿を書く直前、ふと思い立って川沿いの櫨並木の下を歩いてみました。

流れる水の音を聞きながら「川沿いに植えられた櫨は、水害防止の役割も担っていたんです」という矢野さんの言葉を思い出しました。

さらに歩きながら観察してみると、一羽のカラスが一本の木を縄張りにしているようで、そこから餌を探しに飛び立っていっては帰ってきています。木の根元には、小さな植物が花を咲かせ、ちょうちょやてんとう虫が共生しています。そういえば、櫨の木も、ちょうど花をつける時期。薄い黄緑色の小さな花には、ミツバチが集まっていました。

「櫨の花のはちみつは、養蜂家が口を揃えて絶賛するほど美味しいんですよ」

矢野さんの言葉を思い出しながら、人は改めて、自然の恵みによって生きているんだなあ、と感じます。

最近、矢野さんは林業塾に通い始めたそうです。

「櫨ただを増やすだけでは意味がないんです。自然というのは、大きな繋がりの中でバランスを保っています。だから、森や山全体の環境を考えないといけません」

自然との調和を守ってこそ、人も生き物も快適に過ごせる。歴史を振り返ってみると、つい200年くらい前まで、日本人はそのような生活をしていました。

和ろうそくなど、伝統産業の担い手は年々減っています。それは、経済成長を目指し産業構造が変わってしまったことに由来しますが、その構造は、皮肉にも地球に重い負担をかけるものになってしまいました。

「あんた、松山櫨ば復活させてどげんすっとね?」

活動を始めた時に、多くの人から矢野さんが言われた言葉。その答えは少しずつ、着実に矢野さんの中ではっきりとしたものになってきています。

矢野さんが歩む「櫨道(はぜどう)」。その道の先は、自然と人とが循環できる世界につながっています。そのような世界になるために、私たち一人ひとりができることをやっていかなければならないな、とも思いました。


>>松山櫨の商品・矢野眞由美さんについてのさらに詳しい記事はこちら

>>WEB SHOP【よかもん市場】松山櫨の商品詳細・ご購入はこちら

>>松山櫨復活委員会のホームページはこちら

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【イラストレーター 尾野久子】

福岡県小郡市出身。
幼少の頃より絵を描きはじめ、学生時代は独自でいろいろな画材を試す。

卒業後、制作会社に勤務。
在職中は映像制作をメインに活動、絵コンテ制作から撮影・編集作業まで行い、
情報を効果的に伝えるストーリー構成力を磨く。

ウェディングでは招待状からなれそめ絵本、アニメーションまでオリジナルの商品を多数展開。その他ショップやサロン、医療施設の名刺やパンフレットなどの宣伝物を手がけ「想いを形にする」ことの大切さを感じる。

現在は、フリーのイラストレーターとしてイラストを描き、
静止画から動画までさまざまな媒体に展開しています。

https://lifetalesbyh.com


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